イットとよばれたこ

私の脳みそ

今のこと、今までのこと、これからのこと

私は今仕事をしていません。

 

前にも少し書いたかもしれないけど、気分変調性障害という精神の病気を患っていて、その病気の治療に専念するために仕事を辞め、生きています。

今日は今までのこと、今のこと、これからのことを考えてみようかなと思います。

 

仕事や学校に継続していけないのは昔からで、小4の頃にはもう既に学校を休みがちでした。

私の父親のDVで母が私たち姉妹を連れて夜逃げしてくれて、婦人相談所というところへ逃げ込みました。

小3の夏休み、新しい家も決まって新しい学校へ転校してそっちで暮らすようになりました。

ママは父親が治るかもと献身的に尽くしていたらしいけれど、通っていた病院の先生に「このままじゃあなたが衰弱死するよ」と言われて私たちを連れ逃げてくれたらしい。

私は今はもう父親の顔も声も覚えていないけど、転校してすぐの頃は幻聴とかも聞こえてたらしい。今はもうその記憶もないんだけど。

でも、最初の方は父親の顔も声も電話番号も覚えてるのに忘れたくて、忘れたーって言ってた。そういってるうちに忘れた。

で、学校は休みがちでしばらくの間はママに毎朝怒鳴られていたことを覚えています。

でもそのうち、小5くらいかな、そのくらいの時精神科の受診を勧められて、精神科に通うことに。

妹も私もPTSDの兆候があって治療していたけど、妹は幻覚や幻聴といったわかりやすい症状が出て、私は小5くらいからかなり攻撃的になるといった症状が出ました。

今となっては私の攻撃的な行動や言動、いわば家庭内暴力のような状態が症状だったと言えるけれど、その時はママも妹も私も必死で妹ばかり守られて苦しかった。

これは今でも思っているけど、妹にも母にも身体的にも精神的にも傷つけてしまって、特に精神的な傷はきっと一生消えることはなくて本当に申し訳ないことをしたなと思っています。

何度も叩いたり殴ったり蹴ったりしたし、何度も叩いたり殴ったり蹴られたりしました。

物を投げつけたりチェストを蹴って壊したりしました。

今の私を知っている人はびっくりする人もいると思う。

でも20歳の頃、市の職員さんでずっと相談したり話を聞いてもらったりお世話になっていた子供相談課の方が異動になられるとき、挨拶をしに行って話していたらあることを言われました。

「僕は○○ちゃん(私)が悪いとは思ってない、家庭訪問をして話を聞きに行った時も実は家庭内で孤立していないかとかそういうことが心配で話を聞きに行っていた。」という話でした。

それを聞いた私は、その言葉が救いにも呪いにもなって、その日一人暮らしの家に帰ってトイレで1時間くらい動けなくなって大泣きしました。

それから、私が一生負わないといけないと思っていた責任って何だったのか、あの時小学生の小さな女の子は一人にされて、辛かった、、そう思った。

いつも私が手を出すと妹だけが守られて私は一人取り残されて、小さな私は辛かったろうなと思います。辛かった。

だから余計に手も足も出たし、その度に母は妹を守って私に手を挙げて、繰り返し。

それからしばらくはそんなことを考えてすごく苦しい日々だった。

泣いてしまうこともたくさんあった。

そうしながら仕事も休みがちではあるけれど、働いて、たまに精神科にも行って暮らしていた。

小さい工場で働いていたのだけど、実はその仕事を辞めたきっかけも、休みがちでもう面倒を見切れないので1か月猶予をあげるからその間に仕事を探すなりなんなりして下さいと言われたことでした。

それでもあの会社は本当に長い間目を瞑って面倒を見てくれたと思うし、社長に呼び出されたときは正直明日から来なくていいですって言われると思ってた。

それだけ面倒を見てくれたあの会社には本当に感謝しているし、迷惑かけっぱなしで本当に申し訳なかったなと思う。

それがきっかけで、今まで踏み外すことが怖かった私は、踏み出せずにいる自分が嫌いだった私は、ここらでいっちょ踏み外してみるか、と、東京へ来たのでした。実はね。

 

それから東京で仕事を探しながらまた体調を崩しながらやっと就けた仕事を4か月頑張って、それでもやっぱり仕事は休みがちで、原因もわからないまま、私が欠陥品で怠けているだけだと思いながら頑張って、限界がきて精神科に駆け込み、2、3回通ったところで今の病気、気分変調性障害を見つけてもらえました。

小学生の頃から精神科に通っていて、途中途中抜けてはいるけれどいくつか病院も変わったりカウンセリングも受けたりしていたのに初めていわれた病名で、でも先生が見せてくれた気分変調性障害の本の冒頭部分、こんな症状ではありませんか?みたいな6項目くらいの文がそのまま私で、ボロボロ涙が出た。

診察が終わって診察室から出てきても涙は止まらなくて、なんの涙かはわからないけどきっと安心したんだと思う。ちゃんと病名があって治せる病気で、自分の欠陥ではないことがわかって。

その本は買って、こんなスピードで本読んだの初めてかもってくらいくらいついて読んで、本にも書いてあったけど、小さい頃に発症していることが多く自分の性格だと思い込んでることもたくさんあって、本当の私がほかにいるんだなと思った。ほかにいるという表現はちょっと違うかもしれないけれど。

とにかく、時間はかかるけど治せることがわかって、なんというか、すごく、安心した。気がする。

それから「仕事を辞めて治療に専念しませんか?」と言われて、仕事を辞めた、という経緯です。

ここまで読んでる人いんのか?

 

実は今何で生計を立てているかというと、生活保護です。

でもね、よく勘違いされがちやけど、生活保護でもその保護費の中でやりくりできるなら貯金して旅行とかしてもいいしライブに行っても、例えばパチンコに行ってもいいらしい。よ。まあそんなにたくさん貯金したり現場行ったりできるほど貰ってないけどね。

なんでちょっと詳しいのかというと、保護受けるときに説明を受けたのもあるけど、実は家族で暮らしていた時も生活保護で、母は今でも生活保護だからです。

母は本当に限界まで頑張ってくれて、そのせいで心も体もボロボロになって働けなくなってしまったの。今でも治療中でそのほかにもいろいろ病気してるのでそれで。

だから私も仕送りとかじゃなくて生活保護なんです。

ていうかたまに寄り添ってくれる恋人欲しいなとか思うこともあるけど、冷静に考えて精神病持ち生活保護女なんて需要ないよな。

まあそんなことは置いといて。

 

そんな感じで今はゆっくり治療しながら生活しています。

正直まだまだ治療途中で、また再就職できる時期も今は見通し立ってないしもしかしたらまだ何年もかかるかもしれないけれど、今の先生曰く「病気が治って仕事したくなったらする、でいいと思いますよ。仕事したくなるまではお休みしてていいと思います。」とのことなので、ゆっくり私のスピードで進んでいこうと思います。

今の先生に出会えて本当によかったなと思う。

今の病気見つけてもらえたのも、全てにおいて肯定的な言葉をくださるのも、すごくありがたくて当たり前のことじゃないなと思う。

話もしっかり最後まで聞いてくれはるし。

この○○しはる、しゃーるっていう方言、標準語に治すと何になるの?

○○される、なさるとかはかしこまりすぎてるんよな。関西弁って便利。

 

実は精神科に駆け込んだ日、最初別の病院に電話かけてて、当日診療できるか聞いたら空いてなくて、その週の週末に予約を取ったんやけど、やっぱりどうしてもしんどくて行けるとこ探して2件目電話したのが今の病院で、そういうのも含めてそういう運命やったんかなと思う。

めぐりあえたことに感謝。

 

まあそんなこんなでこれが私の今までと、今のこと、これからのことです。

読んでくれる人がいるのかわからんけど、まあタイピング練習に付き合ってやったと思ってください。

ここまで読んでくれた人、読んでくれてありがとう。