透明人間
私は透明人間かもしれない。
みんなに見えていないとかそういう意味でなく、実体がない、いや、あるけど、ない。
自分で自分がわからない。輪郭がない、もしくはかなりボヤけている。
なんというか、白い紙に透明の糊が塗ってあって、でも見えない。色のついた紙やら砂やらなんかそんなものが紙の上に落ちて、透明の糊にやっと色がつく。その色は私自身のものではなくて、人や物事。
で、一番しっくりきたのが透明人間。
透明なんやけどカラーボールとか絵の具とかペンキが当たればそこだけ色がついて輪郭が見えてくる。
周りの人、もの、などでしか自分を判断できない。しか、ということはないかもしれないけど、けど、、
私はほとんど空っぽ。
わかってる風に見えて実はなにもわかっていないし、そもそもわかってる風にも見えてないと思う。だから怖くなる。
好きな人にも嫌いな人にも興味ない人にも嫌われるのはやっぱり怖いな。
自分のことばかり。ほら、ほら。
スカスカのくせしてそんなことばっか考えて
本当はよそはよそうちはうちって強く言いたいし、私は私を生きたい、とは思っている。それはもう強く強く思っている。
でもなかなか上手くいかない。
人の目、脳、心ばっか気にして、どんどんすっからかんになっていって、つまらないつまらないつまらないなにも詰まっていない空っぽになっていく、どんどんどんどん。
透明人間の上に中身までなくなったらそんなんもうなにもなくなるやんか。
怖いな、見失いたくない。
もうちょっと自分と向きあう、向き合いたい、向き合う、う、うーーーーん、うん。
人の絵の具ペンキカラーボールクレヨンとかじゃなくてさ、自分の中からこう、なんか、滲み出るというか、そういうの。
欲しい、と思ったけど、多分持ってる。みんな持ってる、どこにあるかわからんだけで。
それが自分探し?
自分探しって、ここにいるのにね。変なの。
でも自分が見つからない、見つからないから怖い、不安、心配。心配?
突然色々考えてしまうのやめたいな。
また3時。明日明後日明々後日その次頑張ればやっと大好きに会える。
3週間長いなあ、長かったなあ、長かったねえ。
この間お風呂で、東京最近行ってないな〜と考えてたけどちょうど1ヶ月前行ってたからね。感覚狂ってる。
こんなブログで書くのアレやけど日付変わって2018年9月25日、初現場から半年です。自分の中での半年が長いのか短いのかもわからなくなったけど、早かったなあこの半年。いや、そんなことないかなあ、でもやっぱ早かったなあ、とか。
こういう話ももっと書きたいこと沢山あるのでまた書けるときに。
今日は寝ますおやすみ。