いつもタイトル全然思い浮かばない
一昨日の朝、職場に着いて9月6日ということに気づき、ぼんやりと考え事をしていました。
3年前(もう3年前なのか、え?)の9月6日の私はというと大阪の泉大津にいました。『OTODAMA〜音泉魂〜』というフェスを観るために。
当時の私が一番大好きで心の支えだったキュウソネコカミがヘッドライナーだった2015年9月6日のオトダマ。
あの頃、私はわりとでろでろになってしまっていて毎日をとりあえず過ごすことで精一杯でした。
高卒で就職した会社が入社1ヶ月前に突然連絡を寄越してきてその内容が「会社の場所が移転しました」とのことやったんやけど、なんとその街が私が小3まで過ごしていた街、父親がまだ過ごしている街です。
動揺しまくって学校の先生にも話してみたけどとりあえず入社するしかなくて、その時点で、一旦卒業?していたカウンセリングもとりあえず再開して心がグラグラながらも調整しつつ入社しました。しかもそっちで寮生活。カウンセリングは続けました。
会社の人にも最初に話はしておいたし、ウンウンって話聞いてくれて心配もしてくれはった、けど、私の心はちょっとずつダメになっていった。
カウンセリングを受けていることにずっとコンプレックスを感じていた私は「もう大丈夫もう大丈夫!」と強引に卒業しちゃったんだなと思います大人になって気づいたけどお前が焦って卒業したおかげで今でも引きずってるゾ☆そうでなくても引きずってたかもしれんけど。
でも時間が経てば経つほど、大人になればなるほど、そういう心のアレって治ったり大丈夫になったりするのに時間がかかるらしい。まだ子供の頃にそれは聞いていたしわかっていたつもりだったけれど、今になってちゃんと気づく。遅い。
どんどん脱線しています良い調子!
で、とある催しのようなものがあった日、私は完全に怖くなって無理になってもう、駄目。駄目になりました。
家族がこっちに来てくれてご飯を食べに連れて行ってくれた日、私は全然笑えてなかったらしい。強引に卒業した治りきってない心には早すぎたんかなあ。
でも心も体も強くないのでどこに就職していても適当なところでペキッと折れていた気がします弱いので。わりと早めに逃げていた気がする。知らんけど。
で、実家に帰りました。
仕事辞めて1ヶ月くらい何もできずへな〜〜〜〜〜〜〜〜と過ごしました。
それからバイトを始めて、とりあえず過ごす日々の始まりです。
ただでさえコンプレックスまみれの私に、追いコンプレックスです。いぇーい
そんな毎日で、ライブに行くことが私の楽しみでした。
当時は今よりさらにお金もなく今に比べたら全然ライブに行けなかったけれど、行けなかったから、一回のライブにかける思いって結構デカくて。
そこで発表になったオトダマのヘッドライナー。
絶対行くって決めてその日まで毎日「あと〇日頑張ったらオトダマ」を合言葉に過ごした。
前日には大阪の友達の家に泊めてもらって、当日早朝、雨の中泉大津に向かいました。
一日中音楽に浸りながら過ごして、本当に幸せで、久しぶりに生きてる と、思った。
生きててよかった〜 と、思った。
一日オトダマを楽しんで、ヘッドライナー キュウソネコカミの登場です。
前の前のアーティストさんから前の方で楽しんでいた私はキュウソで運良く最前に滑り込むことができました。人生初最前。
なんかもうさ〜全部全部幸せでさ〜あの日、人生で一番幸せ!!!!!!!って本気で思った、な〜確か。
多幸感。
キュウソもフェスのヘッドライナーはその日が初めてで、バキバキのベキベキに気合が入っていて、最初の方は顔がこわばっていてかなり緊張したはるんやなあとか、その緊張がうつってこっちまで緊張したりとか。
ありがとう〜オトダマにあ〜りが〜とう〜
懐かしいな〜。
そう、それでね、2018年9月6日の朝、職場でそんなことを思い出していて。
そういえば私が今生きているこの人生、ほとんど音楽が側にあって、その時々でいろんな救われ方をして来たなあ、とか、考えてた。
音楽って全然ただの娯楽じゃないなあとか、ただの娯楽やから救われてるのかなあとか、ちょっと意味わからんけどそんなこと考えた。
今の今思い出したんやけど、そういえば心が駄目になるちょっと前、キュウソのサブカル女子という曲で替え歌を作ったの思い出しためっちゃじわる。
歌詞思い出そうとしたけど全然出てこない。思い出したらまた記録しにこよかな
本当は一昨日書きたかったブログでした。
明日の私は夏の魔物フェスに大好きなアイドルを観に行きます。
生きてる。
追伸
心も大分調子を取り戻しました。
いろんな人のおかげです本当に本当にありがとう。